このように、報告書には天智紀の法隆寺大火災を認める立場の記述がある一方で、それを裏付ける出土品がないことで、大火災に対して懐疑的な立場の記述もあり、研究者によって見方が大きく違うことがありのままに記されています。

これは法隆寺問題の難しさを示す一つの例といえますが、このように不都合な事実を隠すことなく公表する報告書の姿勢こそ、真実を解明するうえで大きな力になります。

幸い、二〇〇七年に公表された『法隆寺若草伽藍跡発掘調査報告』は、若草伽藍の発掘調査の結果にとどまらず、法隆寺の金堂や五重塔に用いられている木材の年輪年代法による調査結果の報告にまで及んでいます。報告書の公表までに四十年ほどの歳月を要しましたが、この間に矛盾に満ちた法隆寺問題の解明のため、精力的に検討が進められていたことが伝わってきます。

ボタンの掛け違い

服のボタンは、最初に掛け違うと途中で気付くことはほとんど不可能で、最後の最後に、残ったボタンの数と穴の数が合わなくなり、初めてボタンの掛け違いに気付くものです。

法隆寺問題もボタンの掛け違いと似ています。おそらく研究の前提条件のどこかに単純な誤解があり、その誤解が原因となって次から次へと問題が派生しているのです。法隆寺について事実が判明すれば判明するほど、調べれば調べるほど謎が深まっていく原因は、意外と単純なところにあるのです。

つまり、法隆寺問題を複雑で解決困難にしている原因は、これまでに得られた情報に関してどこかに誤解があり、その誤解が元凶となって、確認される事実と推論との間で齟齬(そご)が生じているのです。

しかし、発見された事実と推論との間の齟齬が明確になったことは悪いことではありません。ボタンの掛け違いが最終段階になって初めて分かるように、法隆寺研究の行き詰まりが明らかになったことは、その原因が判明する直前まで来ていることを意味しています。

実は、法隆寺に関する複雑な謎を解く鍵はあります。これまで行われた研究について、少し視点を変えてやれば隠れていた鍵の発見につながり、開かずの扉が簡単に開いてしまうのです。

※本記事は、2021年11月刊行の書籍『法隆寺は燃えているか 日本書紀の完全犯罪』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。