恥ずかしいが、この頃、俺は親の仕事の内容を詳しくは知らなかった。春休み、ずっと部屋の中でゲームをして過ごした。母さんは、俺が外へ行って悪さをするわけではないので、特に怒りはしなかった。朝、まだ俺が寝ているあいだに仕事に行って、夜、九時過ぎに疲れた顔をして帰ってきた。

休みのあいだの食事は、食器棚の引き出しの右側に一日千五百円が入っていて、朝はコンビニでおにぎりかパン、昼は家にあればカップラーメン、夜はスーパーで見切り品になった弁当二人分を買っておくのが、俺の日課になった。二人で千五百円、それがうちの一日分の食費だった。

日曜日、母さんが休める日には、カレーとか焼きそばとかを朝多めに作り、それを一日中食べていた。月末でお金が足りないと、一日一食で、夜スーパーの見切り品だけなんてこともあったが、俺はゲームをやっていられれば、お腹が空いていてもそんなに不満に感じなかった。

春休みが終わり、俺は中学生になった。制服と体操着は、従兄弟のお下がりだった。カバンはなかったので、母方のおじいちゃんが半分お金を出してくれて、いちばん安いのを買ってくれた。まわりは小学校からの繰り上がりで、メンバーは小学校から変化がなかった。

入学式、父兄と記念写真を撮る人たちから外れて、わざと白けた顔をしている俺がいた。ラッキーなことに、中学校にも給食があった。おかげでうちの食費が少し安くなった。幼い頃から両親の夫婦喧嘩の声を聞きながら育ったせいか、他人と争ってもいいことはないと、体に染みつくように知っていた。小学校の頃からの俺の評価は、「おとなしすぎる」だった。通知表にも「もう少し自己主張ができるといいですね」と、書いてあった。

ちょうどいじめが始まるのが、物心ついて同級生に優劣をつけたがる時期だった。いじめは大人の責任、これは本当にそう言い切れる。地方都市の公立の小中学校の教師は、みんなの前であからさまに、生徒の家の事情をポロっと口に出し、下手すると給食費を払っていないことまで平気でバラして、自分が生徒の気持ちを傷つけたことにも気づかない、自覚のない人ばかりだ。

下手な自己主張はいじめの始まりと、もっと小さなときから俺は体でわかっていた。これは母さんがうちで言っていたことの受け売りも入っているが、俺もほとんど同意見だ。だからうちの教育方針は、勉強でも課外授業でも「とにかく目立つな」だった。

※本記事は、2021年10月刊行の書籍『泥の中で咲け』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。