【前回の記事を読む】〈気にしても母親の横暴は変わらない。必ずそれは降ってくる〉

2.カウンセリングに至るまでの道のり

「記憶にある母は、いつもわたしのことを叱っていました。たとえば、箸の上げ下げから口のきき方ひとつまで、注意されないことなどありませんでした。注意されるだけでなく、大声で叱られたり怒鳴られたりしました。頭をたたかれる、ほっぺたを張られる、突き飛ばされる、そのようなことも日常茶飯事でした。ときにはものを投げつけられることもありました」

「父が見かねて止めることがあったのですが、ますますたけり狂うので、結局静まるまでは何も言わないでいるようになったのだと思います。あとから慰めてくれることはあったのですが、小学校の半ばくらいに、父が慰めてくれている最中に母がやってきて、『ふたりで何をこそこそやっているんだ!』と怒鳴ってわたしにつかみかかり、服をはぎ取って裸にして外に放り出すということがあったんです。

それ以来、父は母がわたしに怒鳴りだすと、どこかにいなくなるのが常でした。わたしも恥ずかしい姿を父に見られたことがショックで、それ以来母に何をされても一人で耐えなきゃと思っていました」

「自分が母に叱られると父に迷惑がかかる、それがわたしの行動の指針になっていきました。なんでも我慢して、母の言うことには従う、口答えはしない、叱られても泣かない、それがわたしです」

こちらを見つめながらそう言う女性に対して、私は、何か文句あるかと言われてでもいるような、奇妙な感覚に襲われた。じっとこちらを見つめてくるせいだろう、泣くのをやめて話すとき、この女性の物言いは妙に挑戦的で、謎めいた雰囲気を醸し出していた。言葉遣いも、行動の指針と言ってみたり、どこかオフィシャルな表明に聞こえる。この人はこの面接で、何をカウンセラーに訴えているのか。何度となくそんな想いにとらわれながら話を聞いていた。

「いつ母親に暴力を振るわれるかわからない、いつもそのことに怯えていたので、家にいるときは母から目が離せませんでした。母が上にあるものを取ろうとして手を上げたら、反射的に頭や顔をかばう、といった癖もつきました。

小一か小二の頃、突然椅子から突き落とされて蹴られたときは、驚きと恐怖で落ちた姿勢のまま固まってしまい、その姿勢のまま動けませんでした。書き取りのスピードが遅いとか何とかと母は言っていたようでしたが、恐ろしくてピクリとも動けないまま聞いていました。いつまで寝転がっているんだ! と怒鳴られてようやく体を起こすことができました」