しかし、「My Life」の世界は、そもそもその程度の関係に過ぎない。女から返ってきたメッセージの冒頭には、丸抜きされたプロフィール画像が付いている。女は、真っ直ぐな黒髪の片側を耳にかけて、上の歯並びを全開にした笑顔のまま、固まっていた。ここは何も起こらない、平和な、平和な世界。男の邪気のない興味は、このような平和な世界では、かえって男の心を傷つきやすいものにもした。

今や、男の「My Life」のアカウントは、信の来ないメッセージや「ともだち」申請といった、中途半端なまま放置されている残骸だらけだ。積み重なりもしない、さりとて消えもしない残骸。いや、消そうと思えば初めから何もなかったように消すことができる世界だともいえる。そんな世界よりも、騙されたあの頃の方が、現実世界の方がまだましだったかもしれない、とさえ思う。平和とはいえなくても、そこでは人とのつながりを感じられた。

ロンドンに帰ってしまえばいい、とは思う。言葉の心配がない分、日本にいるより楽だろう。だが英会話学校での仕事の任期は、まだ二年も残っている。それに、東京で多少なりとも作り上げた生活、ワンルームの貸アパートや英会話学校の講師の仕事をゼロに戻して帰国し、また職探しをする気力は、今のところない。

男はウェイターに声をかけて、英語で、もう一杯ビールを頼んだ。だがウェイターは、戸惑ったような曖昧な表情のまま固まっている。もう一回ゆっくりと言った。ウェイターの顔は、依然固まったままだ。さらにもう一回、未だに慣れない日本語で、「オナジ beer クダサイ」と繰り返すと、ウェイターの顔が動いた。ようやく注文が受理されたようだ。

ウェイターが無理やり笑顔を作って寄越してきたから、男はさらに不安になった。言葉がわからないから、こんなに寂しいのだろうか。いや、言葉がわからなくても翻訳アプリを使えば、「My Life」の世界では簡単に人とつながることができる。それに「My Life」には英語を理解する日本人も多い。それなのに、何でこんなに寂しいのだろう? そもそも人とつながるって、どういうことだったっけ?

※本記事は、2021年11月刊行の書籍『Wish You Were Here』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。