「はじめに思想があった」のではなく「はじめに直感」があり、古代の人たちはこの根源体験をロゴス的に把握し、ロゴス化しようとする精神史上初めての試みがあったというのだから驚いてしまった。この根本体験を、「自然神秘主義」と呼んでいらっしゃる。自然に対する捉え方もまるで違い、自然は絶対的超越的主格であり、宇宙万有に躍動しつつある絶対生命を直ちに「我」そのものの内的生命として自覚することにあるのだという。

神秘主義とは、そういった「宇宙意識」のことなのである。私などは、毎年季節毎に咲く野の花が、誰の手も借りずに咲くことが不思議で仕方ない。そのような意味で、不思議を歌った詩人の金子みすゞもある意味神秘主義者だったのかもしれないと思ったり、芭蕉のような人もまた、そのような人だったような気がしてならない。

私の理解は未熟すぎるが、宗教哲学的には、自分が有りながら無であり、無で有りながら存在するというパラドックス「絶対否定的肯定」という自己の存在意識の捉え方がキーワードだと思えてくる。読み進めていくと、私の好きなリルケの「秋」が登場する。数多い西欧抒情詩人の中で、異教ギリシアの予言者オルフェウスの宗教存在体験を最もよく近代文学に再現した詩人がリルケであったのだという。リルケもまた神秘的側面があり、独特の文学的表現が続くのだから、つい引き込まれてしまった。

子どもの頃夢中になったギリシアには、ロマン・ロランのいわゆる「万物流転」という想像もつかない三百年も続いた暗黒の時代があったのだという認識を新たにした。そんな時代だったからこそ、ホメロスを始めとする数々の神話、宗教、哲学、美が誕生したことを思うと、人間の精神の不思議と崇高さを思わずにはいられなかった。深い苦しみの中から独特の叡智が生まれたのだろう。


私のような人間は、神秘主義について誰にも相手にされず、他人に話すと無視されるか、いかがわしい霊媒者のような印象しか持たれないので避けてきた。それどころか落ちこぼれ意識のほうが強かったのだが、このような偉大な人物によって少しわかったことは、大きな恵みであった。

次に『イスラーム思想史』を購入した。子どもの頃夢中になった『千夜一夜物語』は、やはり初期スーフィズム思想の黄金時代に創られた物語であったこと。この人物の幼年期は、父親から厳しい内観法を鍛えられた経験のせいだろうか。やはり独特の神秘主義、超越的なものに対する畏怖。イブン・アラビーの神秘哲学が綴られている。

※本記事は、2021年9月刊行の書籍『永遠の今』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。