【前回の記事を読む】「見た目は麗しい乙女。中身は常人を飛びぬけた特異性がある」

ハレンチの敵

南雲さんは鬼よりも何よりもハレンチを忌み嫌っていた。むしろ鬼は赤色だから好きと言いかねない。鬼に関する彼女の見解は置いておくとしても、ハレンチについての彼女の見解はとても厳しい。世の男どもが震えあがるほどにそれは厳しかった。

南雲さんがハレンチを忌み嫌うのは今に始まったことではなく、大学の一回生の頃にはすでに彼女はハレンチの敵であった。知り合い伝いに聞いた話だと、彼女の前で下ネタでも話そうものなら死を覚悟すべきとのことであった。

彼女が大学時代、学科の懇親会に参加したその日、ある一人の男がつい話の流れで下品なことを言ってしまった。その瞬間、冷たい視線が彼の胸を突き刺し、そのまま心の臓を凍らせたという。しかもそこで話は終わらない。彼を突き刺し凍らせた視線のもとを辿った先に、凍てつくような表情をした南雲さんが鎮座していた。南雲さんが凍てつく瞳をゆっくり閉じると、その背後に南極へと繋がる次元の裂け目が現れた。これは南雲さんの怒りにふれた時、自動で発動する謎めいた力であると考えられる。

彼女は下ネタがいかに寒々しいものであるかを知らしめるためにこの能力を身に着けたと噂されているが、本当かどうかは定かでない。ただ、吹雪が寒いことだけは確かである。

南極から流れ込む冷たい吹雪がゴウゴウと居酒屋中を襲った。マグロの刺身は再冷凍され、熱燗は一瞬にして冷酒に変わり、人々は寒さでガタガタと震えた。誰もがその空間から逃げ出したい一心であったが、扉も窓もすべて凍りつき誰も居酒屋から出ることができない。ただ彼女だけがその氷の世界で自由に身を動かすことができた。

彼女は学科の他全員が凍りついているのをいいことに、一人でエイヒレの炙りをムシャムシャと食べ尽くしていたらしい。その後、扉の氷が溶けだし南雲さんが帰るまでの二時間、誰も彼もが一切話をすることなくただキンキンに冷えたビールを眺めていることしかできなかった。中には吹雪の中で眠ってしまい、そのまま一日中目を覚まさない人もいた。

彼女の冷たい視線に突き刺されて心臓が凍りついた男は、彼女が大学を卒業した今になっても、布団から一歩も出られないほどの寒気に襲われているらしい。