【前回の記事を読む】「昼とは正反対の母親を見てるとね、何と言ったらいいのか…」

来栖・葛城・真理の三角関係

この時の体験がなければ真理との関係をつかず離れずで、だらだらと維持したままつき合いを続けていたかもしれない。しかし彼女の性格の真摯で善良な面を知ってしまった以上、無責任で中途半端なつき合いは止しにしたほうが良いのではないかと、来栖は判断するようになった。

結局、彼は音楽サロン以外でのつき合いについては、自分から真理に連絡を入れるようなことはしなくなっていった。それには家族の自死という打ち明け話をしてしまった時に、真理から時折真剣に見つめられていることに気づいたことも関わっている。

その後もしばらくは彼女と会うこともあったのだが、そこでも彼女が真剣に自分を見つめていることに気づいた。彼の独りよがりの判断だということもあり得る。しかし偏った主観的な見方であろうとしても、立場が逆転してしまっているのではないかと彼は考えた。

それまでは眺めるのは自分のほうだと思い込んでいたのだが、真理のまなざしの変わりように気づいてからは、この先何か二人の関係が余りに真剣なものになってしまいそうだと予感したのである。これが身を引くようになった直接のきっかけだったのかもしれない。

来栖という男はこれまでも異性とのつき合いでは、相手と自分が真剣に愛し合えるように努力はするのだが、いざそのように二人の関係が進展したと確信すると、二人の関係を解消する方向に向かってしまう。要するに最後は女性と緊密に結びつき合うということがどうあっても嫌なのだ。二人ともに真剣さが嵩じて結婚という形で結ばれてしまえば、毎日寝起きの半ば呆けた顔を相手に見せ、相手のほうもそのような顔で日常の立ち居振る舞いを見せてくるようになるではないか。

このような日々のご対面が耐えられない。この点で、彼は極めつきのエゴイストだと自認していた。彼に言えることとしては、真理は文字通り女というものの圧倒的な美を自ら自覚しており、その影響力を試してみたいと考える女性でもあった。それに付随してコケットリーの魅力を備えている場合が多いが、真理も例外ではなく異性を誘い込まないではいない魅力を備えていた。

これは勿論来栖による判断で、おそらくは真理とのつき合いの最初から最後までその美に魅せられ、ほとんどの局面でひたすら彼女に翻弄され続けたというのが事の真相だろう。この判断は真理の本性を一面的であろうと言い当てていると、来栖は確信していた。確信と思い込み、自らを納得させようとしていたと言ったほうが正確かもしれない。一時期真理が真剣に見つめてくれていたことも、その頃には思い出の一コマという風に距離を置き、冷静に捉えられるようになっていた。