【前回の記事を読む】病院で女医から「私を抱いて」という言葉が「聞こえた」ワケ

国田克美という女

講師控室にあった新聞のチラシの一枚に、広島県備後の中央部にある世羅(せら)台地にキャンプ場があることを知り、よそ者の国田は土地勘がないので他の専任教員の意見を聴き、キャンプ場のパンフレットを送付してもらった。

そのキャンプ場には多くのバンガローがあり、飯盒炊飯も可能であることを知ると、国田は独断で即決し、申込みの相談を学校事務員に命じた。学校長、副学校長にはいずれ相談するものの事後承諾に等しいが、村山学校長、久船副学校長も反対する理由がないことを予測できていたからである。

そのキャンプ場を入念に調査し、公立学校の夏休み前の時期が比較的低料金であることから、梅雨明けの七月中旬の土・日を予定した。三学年全員参加とし、総勢百名以上の団体となり、キャンプ場は貸切状態となった。

合宿研修会と称して、五月下旬に全学生に簡単な合宿説明を学生用に掲示すると、学生たちは大いに盛り上がった。興奮状態になる学生もおり、「やったー」と飛び跳ねて喜ぶ学生、手を取り合ってバンザイをする学生など掲示板の前は大騒ぎとなった。

このようにして合宿研修会は絶大な反響を呼び、国田の教務主任としての人気は急上昇した。約二カ月前に合宿研修会を公表し学生の旅行気分の期待を長期間増幅させるために、各学年に合宿研修委員会の立ち上げを指示した。

これも国田の作戦であり、人の心理を巧みにあやつる術を国田は持っている。すなわち、学生たちにとってはカリスマ性のある教務主任となったのだ。今後、国田は学校運営面においてさらにこのような術を開花させ、カリスマ性をさらに発揮するのである。

一方、合宿研修会を事後承諾させられた久船は予算がないことに頭を悩ませた。必要金額は貸切りバス代を含めて約百万円也。予算上の予備費は五十万円計上されている。村山学校長に相談したところ、「合宿研修会は学生にとっては誠に良い企画だ。よっしゃ、わしが責任を持つから金のことは度外視して、やれ!」と言われた。

自他共に認める親分肌の村山学校長は看護専門学校の繁栄は自分の診療所と同様に自分が開設した自分の学校という認識があるため、良いと思ったことは行け行けドンドンの勢いで、教務主任の国田に対しては「行け行けねえちゃん」である。

村山学校長は「学校行事として約百万円の補正予算を組めば良い。その財源は学校運営資金があるので、それを繰入金とすれば良い」と久船に指示して、予算の件は解決した。村山のおとっつぁんの一言は凄い力があることを、久船も国田も改めて認識したのである。

ところが、学生の研修実行委員会から国田へ次のような申し出があった。すなわち、研修会の二日目は世羅地方を観光してから尾因市へ帰りたいというのである。国田はこのようなことをしたら往復のみの料金を予定していたバスチャーター料が二日間貸切り料金となり、その上に昼食代も加算される。予算はさらに増加するため学生に直ちに断るように言おうとした。

しかし、熟慮の末、国田の頭に悪知恵が浮かんだ。それはこの件をまず、久船に相談して、久船から無理と言われたら、「私が学生を説得してみます」と言う案である。

案の定、久船は観光を認めなかった。その理由は夏の暑い日の研修で疲れているので二日目は正午までに尾因市に帰り、午後は休養して、疲れを早く取り除き、翌日の仕事に支障のないようにするのが最善の方法であるということであった。国田もこの件については同じ考えを持っており、久船に対しては従順な振りをして服従したことにした。