【前回の記事を読む】「弟の命より大切な仕事などどこにもない」布由子の覚悟

諭の病気

沙織は一七三センチの諭とあまり身長が変わらないスレンダーな美人だった。髪はショートカットで白いカットソーと足首までのパンツ姿が若々しく、口調もサバサバしている。彼女が高校生のときに母親が病気で他界し、姉は数年前にスイス人と結婚。大学の研究職として六十代後半になっても働いている父親と二人暮らしで、諭は父親とも何回か顔を合わせているという。アウトドアとお酒が好きで豪放(らい)(らく)な沙織の父親の話題は病院の空気を和ませた。

「沙織さんもお酒飲めるの?」

「はい、好きです」

「この人は日本酒が強いんだ」

と諭が沙織に視線を送る。

「おお。私は最近ワインだけど、今度一緒に飲みたいね。友だちの旦那さんが何年か前にやっぱり急性骨髄性白血病になって、抗がん剤とか放射線治療を受けたんだけど、今はもうすっかり元気になって髪も元どおりになったし、お酒も飲んでるって。当分無理だけどまた一緒に飲めるようになればいいね」

諭もたいていのアルコールを嗜みタバコも吸った。殊に一人暮らしの生活は不摂生だったに違いない。一緒に飲める日が来るとはまだ想像し難かったが、ともかくも諭がたった一人で病気に立ち向かうのではなく、心身ともに支えてくれる人がいることがありがたい、と布由子は心から沙織に感謝した。

帰りは新宿から京王線に乗り換えて調布まで行き、布由子は一泊する予定で息子の陸が住む1Kのアパートに向かった。再開発工事が進む調布駅周辺や中心部から少し離れたアパートの界隈は、何回か息子を訪ねるうちに頭の中に地図が入っていた。

陸も一度諭の見舞いに訪れていて、「諭叔父さん」の病状を気にかけていた。夕食に出かけた近所の焼肉店で肉の注文は陸に任せ、布由子は沙織と会ったことや骨髄移植のため採血したことなどを説明する。

「仕事休めるの?」

「何とかするよ」

社会人ほやほやの息子だけが母親の仕事の都合を心配してくれて、布由子はうれしくなり、「上司に叱られてばかりいる」という彼の職場の愚痴を聞いてやった。一人息子で甘やかしてしまったかなと心配していたが、社会に出ていつの間にか少しずつ成長していることが感じられた。

布由子にとって仕事や家庭からも、親兄弟の心配からも離れて伸び伸びできる時間だったのだが、にわかに胃腸の調子が悪くなり、ハイボール一杯で切り上げた。陸は思ったより酒が強く、ビールやサワーを何杯も飲んだ。雨は夜中まで降ったり止んだりしていた。