ある初夏の午後、リーダー格のNが

「棚橋。お前、手塚治虫の新刊が欲しいやろ」

と言ってきた。

「うん。欲しい」

「でも、買う金がないやろ」

「うん。ない」

「だったら、3人で本屋に行って盗ってこか」

「そんな、悪いことしたらあかんやないか」

「何いうとるん。本屋には、同じ本が沢山あるから、一冊や二冊盗ったて、どうちゅうことないわ。分からへん、分からへん。お前とKが見張りしてくれたらいいんや、本は俺が盗るから、ついてこいや」

と、やや強引に本屋に連れて行かされた。悪いことやと知りながら、NとKに連れだって三条通りの本屋に行った。

Nは、個人経営の本屋を狙った。当時は、監視カメラなんかない時代だ。そして、京都の家は、細長く奥深い家が多い。目的の本屋に着いた。奥が深く縦長で両サイドに本の棚があり中央に置き棚があって、ベストセラーの手塚治虫氏の新刊は、中央付近に山積みされていた。店に入る前にNがKに言った。

「この3人は、別々の客やと思わすのや。K、お前は、奥で店番しているおばはんに、何でもいいから話しかけ色々と話をしてくれ。監視の目をそらせるんや。棚橋は、入り口付近に立って他の客が来ないか監視してくれ。もし、人が来たら右手を上げて合図しろ。いいか。分かったか」

と手筈を指示した。Kと私は、黙ってうなずいた。NがKと私に

「おいK。お前は、右から先に入れ、愛想良くおばはんと話をしろ。それを見計らってわしが左から入る。棚橋は、店頭に立って、本屋に入ってくる客を見張れ。終わったら、あそこの公園に集まれ。慌てるな。ゆっくりと落ち着いて客を装って入れよ」

と言った。そして、Nは、本を物色しているように見せかけ、それぞれの位置についた。Nは、中央付近で立ち読みをしている素振りを見せた。

Kが、おばさんに話しかけていた。私は、通りに人影がなかったので両手を下ろしていた。Nは、店番のおばさんに背中を向けた。学生服の上部の釦を左手で4つ位外した。そして、手塚治虫の本を左手で2冊掴んで、右手で持っていた立ち読みの本の下に重ね、3冊まとめて学生服の左の方へ押し込んだ。小さな本なので、左胸は多少膨らんだが、本が入っているようには見えなかった。Nは、何事もなかったような顔をして、本屋から外に出てきた。Kも

「おばさん。ありがとう。また、来ます」

と言ってゆっくり出てきた。私も何食わぬ顔で本屋を離れた。言われた通り公園で3人が落ち合った。

Nが「うまくいったわ。スリルあったわ。面白かったわ。お前らにも渡しておくわ」

と盗んだ本をくれた。

Nは、盗むことでスリルを味わい、ゲーム感覚と捉えていたようだ。善悪なんか全く考えていなかった。盗んだ本だと知っているだけに、ためらいながら後ろめたさを感じながら受け取ってしまった。私は、本を貰って罪悪感を感じた。

※本記事は、2021年11月刊行の書籍『180度生き方を変えてくれた言葉』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。