第二章 忠臣蔵とは何か

この元禄赤穂事件の芝居化については、別の記事で更に深掘りしていくが、共通性が考えられるこれら四作品のうち、すでに案内済みの『仮名手本忠臣蔵』を除く三作品について、下記に概要を紹介しておく。

『碁盤太平記』

作者は『曽根崎心中』で知られる近松門左衛門、代表作『曽根崎心中』から七年後に上演された作品である。近松による先行作品『兼行法師物見車』の跡追いとした作品で、当時巷で人気のあった『太平記』の中の巻二十一「塩冶判官讒死の事」を題材にしており、主役である塩冶判官と高師直との軋轢を元禄赤穂事件における浅野内匠頭と吉良上野介に置き換えた最初の作品である。

特筆すべきは、この『碁盤太平記』で大星由良之介(『仮名手本忠臣蔵』では大星由良之助)が初めてこの世に登場したことで、それ以外の登場人物名についても、そのほとんどが直接『仮名手本忠臣蔵』に引継がれている。

『鬼鹿毛無佐志鐙』

『鬼鹿毛無佐志鐙』は、歌舞伎として大坂篠塚座で上演されていた『鬼鹿毛武蔵鐙』を紀海音によって浄瑠璃作品にリメイクされた芝居とされ、舞台を小栗判官と照手姫の空想の世界に置き、その復讐劇に元禄赤穂事件を連想させる場面を組み入れた作品である。因みに紀海音は当時豊竹座で座付作者をしており、竹本座の近松門左衛門と競い合った人気浄瑠璃作者である。

浅野内匠頭は小栗判官、吉良上野介は横山左衛門、大石内蔵助は大岸宮内(おおぎしくない)と設定している。実際に大石は内蔵助の前に喜内(きない)を名乗っていた時期があり、この作品では大石喜内と良く似た大岸宮内としており、韻を捩った仕掛けは『碁盤太平記』に共通する。

時代背景を一四〇〇年代中期の室町時代に設定しているが、小栗判官や横山左衛門そのものが架空の人物である。この作品のなかに組み込まれている大岸宮内の遊興が、後の『仮名手本忠臣蔵』の七段目大臣の錆刀の原型となったとも言われ、大岸の遊興の場を大石が実際に通ったとされる京都伏見の橦木町としていることや、討入りの場面での合い言葉を実際の討入り時と同じ「山」・「川」としていることなど、史実に近い要素を取り入れていることは大変興味深い。

『忠臣金短冊』

『忠臣金短冊』は並木宗助、小川丈助、安田蛙文の合作で享保十七年(一七三二)に豊竹座で人形浄瑠璃として上演されている。作品のなかの討入りの場面で四十七士が各自背に姓名を記した金の短冊を身に着けていることが題名の由来となっている。

浅野内匠頭は小栗判官兼氏、吉良上野介は横山郡司信久とし、大石内蔵助については苗字を『鬼鹿毛無佐志鐙』と同じ大岸としながらも、名は『碁盤太平記』と同じ由良之助とした大岸由良之助とし、息子の主税も『碁盤太平記』と同じ力弥としている。

また作品のなかに、『碁盤太平記』の岡平こと寺岡平右衛門同様、寺坂吉右衛門をモデルにした寺沢七右衛門を小栗家の足軽として登場させ、由良之助の遊興の場面を島原に替えつつもしっかりと取り入れており、先行作である『碁盤太平記』や『鬼鹿毛無佐志鐙』の影響を受けていることは間違いない。背景には小栗判官、照手姫の空想の世界が横臥しており、全体的には元禄赤穂事件とはほど遠い内容となっている。

以上のように、元禄赤穂事件を彷彿させる『碁盤太平記』と『鬼鹿毛無佐志鐙』は、当時大坂道頓堀界隈でしのぎを削った竹本座と豊竹座でしかも同じ年に上演されているが、どちらが先に上演されたのかについては特定されておらず相互の影響度は不明である。三作品とも時代設定を同じ室町時代に置き換えてはいるものの、『碁盤太平記』は太平記を舞台とした史実の中に元禄赤穂事件を重ねており、『鬼鹿毛無佐志鐙』と『忠臣金短冊』は空想の物語である小栗判官、照手姫の世界に元禄赤穂事件を彷彿させる出来事を反映させていることが大きく異なっている。

ここで『仮名手本忠臣蔵』に繋がる『碁盤太平記』『鬼鹿毛無佐志鐙』『忠臣金短冊』に登場する人物名と実際の元禄赤穂事件に登場する人物を比較してみる。それが次の人物名比較表である。

写真を拡大 [図表] 人物名比較表