空港に着くとボードを眺め、目的地を決め周遊券で搭乗。到着地では空港でドライブインなどを電話で直接予約するといった式である。飛行機の席が満席でファーストクラスに案内されたこともあった。

1か月間、サンフランシスコ、ロサンゼルス、サンディエゴ、バンクーバー、カルガリー、デンバー、イリノイ、シカゴ、ボストン、チャールストン、ニューヨークへと飛び、各地で時間の許す限り講演活動、観光を行った。アポを取ったところでは私の仕事のミニレクチャーをして、講演料も頂きながらの気楽な旅であった。

私のつたない英語でよく厚かましくやったものだとその無神経さにはあきれている。おかげで肝心の観光旅行は思ったほどできなかったのは残念であったが、その時その場で歓待を受け、いい思い出をつくらせて頂いた。

ニューヨークからロンドンに飛び、今年で最後になると言われたオリエント急行にパリから乗り、ウィーン、プラハまでの列車旅行、そこからは空路バンコク経由で最後の目的地キャンベラに入った。当時は米ソの冷戦時代で2人の怖いおじさんが世界を二分していたので他の国々は極めておとなしく、治安もよく旅行中危険を感じたことはほとんどなかった。

古き良き時代であった。

帰国して、さしたる研究の糧になるようなものも持ち帰らず、また漫然と過ごす日々が始まった。しかし、その後の人生においてこの経験は予想をはるかに超える私の精神的支柱となった。

即ち、世界中いたるところ国あり、町あり、山野あり、人々が集うも同じ地球人ということを実感させられた旅であった。

[写真1]サンフランシスコの国際リウマチ学会での1コマ。 中央に恩師 大藤眞教授 右に慶応の本間光夫教授 左端に七川教授など、錚々たる顔ぶれが見られる。 このあと私(右より2人目)は世界一周旅行へと旅立った。
[写真2]サンディエゴのスクリップスクリニック(世界3大免疫センター の一つ)のボーン教授主催のパーティーで。左側にボーン夫人、出席医師は私と同年代の世界から集った先生方。在米中このようなパーティーに何回か招待された。
※本記事は、2021年9月刊行の書籍『心の赴くままに生きる 自由人として志高く生きた医師の奇跡の記録』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。