【前回の記事を読む】まさに地獄…管理職という十字架を背負った定時制の副校長時代

服務監督者として~気の抜けぬ日々~

さて、その最初の橋を渡った先にあった学校は、東部地区の定時制高校だった。

この学校は、生徒の問題行動や教職員の服務上の問題など多くの課題を抱えた学校として、全都的にも有名な学校であった。着任時、会う人会う人皆から、「大変だけど頑張って」と口々に声をかけられた。

当の本人は何が大変か、まだよくわかっていなかった。着任して1週間ほどたった日の放課後のことであった。定時制だから退勤時間は夜の22時、つまり午後10時が勤務終了となる。ところが、退勤時刻30分前の午後9時30分に、鞄をもって昇降口から出ようとしている女性教員がいた。

呼び止めて、まだ勤務時間中である旨を告げ、問い質したところ、逆に開き直って、「いつも生徒のために遅くまで勤務している。たまに早く帰って何が悪い」と、激しい押し問答の後、振り切って帰ったので、年休処理簿に職権でもって「早退」と記入し押印した。

すると翌日、組合員から「副校長! 話があるので来てくれ!」と呼び出され、校内の一室で何名かの教員に囲まれた。そして昨日の私のとった行動を撤回するよう求めてきた。

最初は穏やかな口調であったが、私が意を曲げないと見るや、糾弾集会の様相を呈した。当該教諭からは「“あんた”のこと一生恨みます」とまで言われた。彼女からは、その後1年間にわたり、事あるごとに、処理簿の記載を取り消すよう求められた。

こうした服務上の課題は、当該教諭のみならず、職場風土として存在していた。そして、「隙あらば……」という“雰囲気”や“臭い”が漫然と漂っていた。

そして、職員室の時計は、なぜか何度調整しても、いつの間にか5、6分は早められていた。服務監督者として、常に警戒して目を光らせていなければならない日々が年間を通してあり、気を緩めることができなかった。毎日、勤務時間終了の午後10時を過ぎると、とても心が安らいだのを覚えている。