先月の勉強会は舞子が症例発表をする番だった。しかし、彼女がプレゼンしたのは、遭遇した症例ではなく、大学時代のカリキュラムで行ったという米国シアトルの救急研修の話だった。なんと、シアトルでは病院外での心停止傷病者の約六割が救命されているという。

日本で年間に発生する、病院外での心停止症例数は年間約十二万人。

その中には、死亡している状態を発見されたような明らかに助けられない例や、末期癌患者などで予想された心停止の例なども入っている。

そのうち、実際に救命の可能性が高い「誰かに目撃されていて、しかも、心臓に原因がある心停止」が約二万五千人。一ヶ月後の生存率は十数パーセントである。それと比較しても、シアトルの救急医療システムがいかに先進的なものであるのかわかる。

さらに驚いたのは、パラメディックといわれる、いわゆる救急救命士の資格を持った隊員たちの活動だ。彼らは救急現場で医師のように多くの種類の薬剤を投与していた。それだけでなく、現場で行った医療行為をもとに研究を重ね、自分たちがプロトコール、つまり治療計画書を作っていたのだ。

日本では、メディカルコントロールといわれ、医師の主導で現場の活動が決められていくことが多い。舞子から見せられた動画の中に、シアトルのパラメディックの勉強会の風景があった。半円形の階段教室に、各地からパラメディックが集まってきて、コーヒーを飲みながらリラックスした雰囲気でプレゼンターの発表を聴いていた。会場からは多くの手が挙がり、活発にディスカッションが展開されていた。

水上はこれまで、現場経験では舞子に負けることはないと思っていた。高卒で消防官となり、一年目は消防学校で教育を受けた後、消防署の警防課消防係に配属され、消防活動の基礎を修得した。救急活動についても、「PA連携」と言われる、ポンプ隊と救急隊の連携活動から学んできた。

三年目以降は出張所勤務となったが、出張所には専従の「係」がないため、総務や経理の事務から建築物の届け出の受理まで、消防署で行われているひと通りの業務を経験した。順調にいけば、次に救急隊員に選ばれるのは自分だと思っていたが、救急救命士免許を持って入庁してきた舞子の登場により、順番を抜かされた形になった。

大学で、消防の現場を知らない者が救急救命士の勉強をするって、どういうことなんだろう、と水上は思っていた。舞子は、経験と勘に頼らなくても、救急活動を科学的に検証して「救急現場学」を作り上げていくべきだと、勉強会で言っていた。

「あの……もう、終わりでしょうか」

資器材を台車に載せ、片づけを終わらせようとした菅平と水上の前に、幼稚園児くらいの男の子を連れた女性が近づいてきた。