第一号畫題道化の歌此の作品は人骨と片腕の無い人體が後ろ向きになり佇立し其の横側と人體の頭上に地球の様に圓く形取ったものが崩れかかって居る様に見へる作品である。之を一般人が鑑賞する場合は其の人々に依り鑑賞の仕方も異なり或る人は──人骨を搾取せられつつある、無産者階級と見、人體は今日の資本主義を意味し、資本主義は人體の如く一見健康體を保って居る如く見られるも缺點があり不完全なもので片腕が無く、後方に向かって居るし、圓形が崩れかけて居るのは世界的に資本主義社會は崩壊に瀕して居ると言ふ、資本主義の弱點を現はして居る作品であると觀察する者もあるであらう。

此の觀方想像力は一見正しいのであるが、然し作家の意圖としては、人骨は資本主義を意味し、人體はプロレタリアを表現し、圓く地球に形取ったものは、圓光を意味して居り、人骨に表現した資本主義社會は、已に崩壊しつつあり、人體の横から圓光が頭上に上りつつある事は、プロレタリアが、資本主義を倒し軈て無産者の勝利へ近附きつつある、人體に片腕ないのはシュールとして病的な技法と無産階級が非常に壓迫せられて居ると言ふ事を現したかった爲である、故に作家の意圖は一般の鑑賞者との觀察と相違する場合も尠くないが、それは末梢の問題であって作者が要求して居るイデオロギーを少しでも掴まれれば成功である。

假に若し斯くした階級的なものを掴み出せない場合に於いてもシュールの作品其のものからは決して生新な明るい感覺は起きて來ない、其處に一つの幻想的感情と云ふか異常な感じを起させ、作品に觸れる事に依り何等かの暗示を與へシュールレアリズムの探究への契機となり目的を達する事が出來る。