落ち着いている日は、電話がかかってこないこともある。

手術全例で泊まる必要はないが、帰宅することに後ろめたさ、不安を感じてしまう。泊まるのは「患者のため」が表向きの理由であるが、患者と近い空間にいて自分の不安を和らげ、何か起こった時に不在を責められたくないという自己防衛が本当の理由であることはわかっている。

目覚めてしばらくは自分がどこにいるのか、何曜日なのかもわからない。時間が経つにつれ、医局棟の廊下を歩く音やドアの開け閉めの音が増えてくる。私はぼんやりと医局の天井を眺めていた。次第に記憶がよみがえってくる。

出血は、リークは、呼吸状態は……。少しずつ思考回路がつながっていくと共に、眠っている間に何か起こらなかっただろうかという不安が頭をもたげてくる。

不安の解消法

外科医はいつも何かしら不安を抱えている。

自信たっぷりで何の不安もない外科医もいるかもしれないが、それはごく少数だと思う。出血が多い、空気漏れが止まらない、(きず)の治りが悪い、呼吸状態が思わしくない、再発の兆候がある等々、心配の種は尽きない。

眠っていた数時間分の不安がうねりのように押し寄せ、電話に気付かなかったのではという不安にも(おび)える。

これらの不安の解消法は一刻も早く現場に行くことである。私は冷蔵庫のオレンジジュース一本を飲み干し、ソファーを片付け、顔も洗わず歯も磨かず、脱ぎ捨てていた白衣をひっかけて医局を出た。

白衣のポケットには酸素飽和度計、マニュアル本、メモ、筆記具が押し込まれ、ずっしりと重たい。左ポケットには本が突っ込まれていて右より重く、歩いていると左(えり)が落ちていくので歩きながらボタンをとめる。

机の上に置いていた聴診器は首にかける。

これは今ではありふれた光景であるが、学生時代には軍医出身の教授から「聴診器はネックレスではない」と、こっぴどくどやされた。軍医上がりの教授は問答無用であり、それを許す威厳を漂わせていた。

※本記事は、2022年3月刊行の書籍『南風が吹く場所で』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。