【前回の記事を読む】「徳のある人は実践する難しさを知るからこそ慎重になる」

犯罪をなくすには

孔子はさまざまな国をおとずれながら、町長や国王などと面談し、議論を交わしましたが、孔子の地元である()の国でも、毎日のようにさまざまな人と対話していました。

ある日、魯の国の王族である()康子(こうし)が孔子に尋ねました。

「政治家にも悪い政治家や、良い政治家など、さまざまな政治家がいるものですが、国を治める政治家とはどうあるべきなのでしょうか」と尋ねたので、孔子は答えました。

「政治家とは、正しいことを行う人のことです。政治家が悪いことをすれば、その国民も、真似をして犯罪を(おか)すようになるものです。政治家が身をもって正しいことを行えば、その国の国民も、正しいことを行うようになるものです」

季康子は続けて聞きました。

「いい政治を行うために、たとえば犯罪を犯すような悪人をすべて死刑にして、良い心を持った善良な人だけの国を作るというのは、どうでしょうか」

孔子は答えました。

「良い政治を行うためとはいえ、殺人を犯すなど、あってはならないことです。この世界に、善良な人が増えるように強く願えば、国民は次第に善良な心になっていくものです。政治家の徳は風のようなものです。その風の下で生活する国民は草のようなものです。草の上に風が吹くと、草はなびくものなのです。心の綺麗な人が百年間にもわたって政治を行えば、犯罪を減らすことができるようになるでしょう。なぜなら人々も年月を経て心が綺麗になっていくものだからです。そしてついには、死刑になるような大きな罪を犯す人は、月日とともに自然にいなくなるに違いないのです」

「人々を正しい方向に導くために、刑罰で罰することで治めようとすると、人々は、刑罰さえ、まぬがれればよいと思ってしまい、法律をまぬがれることに恥ずかしさを感じなくなってしまうものです。人々を正しい方向に導くためには、徳によって治める必要があるのです。政治家のみならず、人々が徳のある言動、徳のある振る舞いを実践し、そして、法律よりも礼儀礼節を重んじる習慣を身につけることで、徳のない振る舞いや、礼儀に反する行動に、恥ずかしさを感じるようになり、正しい行動をするようになるものなのです。そうすれば刑罰など必要なくなるのです」