一条通りは妖怪ストリート

一条通りは、その昔、平安京の最北端の一条大路であった。すなわち人界と魔界の境目でもあったようで、百鬼夜行や戻り橋の伝説など、魑魅魍魎の類の話が多く伝わる。

烏丸今出川から御所に沿って少し下がる(南に行く)と「一条通り」の標識がありここから西に向かってぶらぶら歩きをするのが楽しい。人通りの少ない細い道の両側は昔ながらの家並みが続き、ときおり由緒ありげな屋敷や古民家カフェがあったりする。やがて堀川通りに出る。

堀川を西に渡る小さな橋が「戻り橋」である。平安時代の学者三善(みよしの)(きよ)(つら)が、葬列の途中に駆け付けた息子浄蔵の法力で生き返ったのがこの橋の上。あの世から戻ってきたので「戻り橋」の名がついたと言われている。渡辺(わたなべの)(つな)が鬼に襲われ、鬼の手を切り落としたのもこの橋の上。

また、近くに住んだ安倍晴明が、奥さんに「式神の顔が怖いから家から追い出して」と言われて、しかたなく十二の式神を隠して養っていたのはこの橋の下だと言われている。一世を風靡したスーパー陰陽師も、奥さんには頭が上がらなかったのがおもしろい。

そんなことがあって、今でも嫁入りの列はこの橋を渡らないし、逆に第二次大戦では、兵隊さんは皆この橋を渡って出征したという。一二〇〇年前のことが普通に今とつながっていると感じられる京都らしい話だ。

堀川通りを渡ると間もなく千本通り。この通りが平安京のメインストリート朱雀大路だった。西陣京極という地名にその名残りがある。なおも進むとやがて妖怪で町興しをしている「妖怪ストリート」大将軍商店街となる。店先でさまざまな妖怪のオブジェが出迎えてくれる。

商店街を過ぎると、右側に金星の神を祭る大将軍八神社が見える。宝物庫にたくさんの神像がある。かつて平安京は四方を大将軍に守られていて、ここは北の守りの大将軍社であった。ということは、やはりここから北は残念ながら(みやこ)の外ということになる。日差しが午後のものから夕方のものになりかける頃、西大路通りに到着する。ゆっくり歩いて約一時間、すれ違った人の何人かは妖怪であったかもしれない。

※本記事は、2021年10月刊行の書籍『京都夢幻奇譚』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。