井筒俊彦

人生にはある束の間の時間が、一人の人間の一生を左右するほど、刻印を残すことがあるのだろうか。小学校の冬は薪ストーブが使われるので、秋の終わりになると子どもたちには杉の葉拾いの日があった。それぞれ山に行って、枯れ葉になった杉の葉を集めるのである。

その日私は、一歳年上の頼子さんに連れられ滝沢峠に向かった。彼女のお父さんは腕の良い猟師でもあり、その山の持ち主だったが、私にとっては未知の世界だった。

見たこともない古木たちは、仏様のような気がしたし、細い径を登って行くと平らな場所に出た。遥か遠い山を越えて吹いて来る風が心地好く、空は果てしなく碧瑠璃に澄み、見上げると一羽の漆黒の大きな鳥が翼を広げて舞うように旋回していた。気高い森の仙人のような気がした。奥会津にはイヌワシが生息しているので、その鳥だったのかもしれない。

別世界に来たような興奮は収まるところを知らず、私は杉の葉を拾うことも忘れてしまい、その鳥を眺め続けた。どれほどの時間だったのだろう。その間に、頼子さんは私の分の杉の葉を集めてくれただけでなく、重い杉の葉を背負い山を下りてくれた。彼女の優しさには今も感謝している。

私は樹々たちと空と鳥から漂う何者かに心を奪われた。ひどく驚き、その日眠りにつくまでボーっとして(一種の酩酊状態)過ごした。あの日の心象は消え去ることはなく、時々私の古層のような所から立ち現れ、幸せな気持ちに誘い出してくれる。意識(無意識も含めた)と色彩と感情の強烈な経験。振り返るとそれはまさに、天上の世界の神秘のようでもあった。

人生にはこのような輝かしい日が訪れることがあるのだろうか。大げさな言い方であるが、この偶然の一日が、運命として未来へと開かれていったようにも思われた。W・ジェームズによると、酩酊した意識は神秘的意識の一片なのだという。後にアメリカの哲学者・詩人のラルフ・ウォールド・エマソンやヘンリー・デビッド・ソローにつながった。

※本記事は、2021年9月刊行の書籍『永遠の今』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。