1998年11月7・8日(土・日) ピーターバラおよびイーリー紀行

-イースト・アングリア:イギリスの水郷地帯-

  

10月のノリッジ紀行でイースト・アングリアの大平原越しに大聖堂の尖塔を眺めたいとお話ししたのですが、妻は心配性で夕方すぐに暗くなる季節に一人でのドライブに反対され列車での観光となりました。

誰か付き合ってくれる人がいればいいのですが身軽な単身赴任者と都合が合う人も少なく、また私も一人の方が効率的に観光できる気楽さもあります。ちなみに1週間前の北ドイツ観光では土曜日1日でロストック、リューベックの2都市を回るために朝4時半起床でしたので、幾ら親しい友人でも効率的な観光をするためには制約になります。

ピーターバラはノリッジと並ぶイースト・アングリアの中心都市で今回観光したピーターバラ、イーリー、キングスリンの3都市のなかでは一番近代的な街並みを持っています。

 

大聖堂はノルマン様式で、中には6人の王妃を持ったことで有名なヘンリー8世(在位1509年~1547年)の最初の王妃キャサリン・オブ・アラゴンの墓があります。

キャサリン・オブ・アラゴンはカスティーリャ・アラゴン連合王国のイサベル1世女王(在位1474年~1504年)とフェルナンド2世王(在位アラゴン王1479年~1516年、カスティーリャ王1474年~1504年)の王女でグラナダのアルハンブラ宮殿で育ち、ヘンリー8世に離婚されたあとも首をちょん切られることもなく死後ピーターバラ大聖堂に葬られました(解説によるとセント・ポール大聖堂での葬儀の費用を節約したいというのがヘンリー8世の魂胆だったとのこと)。

美貌のメアリー・スチュアート(スコットランド女王在位1542年~1567年)も1587年にピーターバラから10マイル離れた城塞で処刑されたあとキャサリン・オブ・アラゴンのお墓の反対側に埋められていたそうですが、エリザベス1世(在位1558年~1603年)のあとを継いだメアリー・スチュアート(スコットランド女王)の息子イングランド王ジェームズ1世(在位1603年~1625年、スコットランド王としてはジェームス6世)により1612年にウェストミンスター寺院のエリザベス1世(在位1558年~1603年)の隣に改葬されたそうです。

※本記事は、2021年8月刊行の書籍『ヨーロッパ歴史訪問記』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。