会場が彼の答えで沸き返りだした。司会者が次の質問を促しても容易に手が上がらない。ざわめきだけがひたひたと高揚し始めた。その時だ。婆須槃頭の傍らにいた佐々木洞海が突然声を上げた。

「みんなどうしたんだ。俺は映画プロデューサーとして『山名戦国策』を婆須槃頭さん主演で作ろうとしているのに、さっぱり質問が来ないじゃないか。婆須槃頭さんの日本人としての素性だとぉ。そんなものはいずれ誰かが明らかにするよ。本人もそのことを嫌がっているじゃないか。それよりもなぜもっと映画についてのおたずねがないんだい? この映画について何か不承知なものでもあるのかい」

佐々木は自分の仕事について無関心すぎるとでも言いたげな口調で述べまくった。司会者が再び質問を募った。一人が挙手した。

「佐々木プロデューサー。あなたは新藤監督を今日のように女流監督の第一人者に育てられました。そのことを大いに讃えたいと思います。そもそも新藤監督とはどの様な出会いがあってのことだったのでしょうか」

記者は二人の出会いと交渉を、男女の絡みで捉えようと手ぐすね引いて待ち構えた。

「今の質問、ちょっと不躾じゃないかね。よし、話すからその耳かっぽじいてよく聴け。俺と彼女の出会いは二十年以上前にさかのぼる。俺がやくざで名を成して肩で風を切っていた頃だ。やくざ映画のアドバイザーもやっていた。しかし実は俺は心臓に問題を抱えて苦しんでいた。

ある時路上で発作を起こして倒れたのを救急車で運ばれたんだ。その時救急車内で俺の応急手当を手際よくやってくれたのが当時、救急救命士だった新藤監督の兄貴だったんだ。搬送先の病院の先生達もその手際の良さを褒めていたよ。おかげで命拾いしてから俺はやくざの足を洗ってかたぎになった。

どうせ拾った命だからと俺は修行をして僧侶の資格を取り、映画の仕事と並行して仏教の宣布活動に力を入れた。そのころ映画監督見習いで頑張っていたのが新藤君だった。新藤君の兄貴のおかげで拾った命、俺は彼女の頑張りを陰ながら支援した。勘ぐっちゃいけねぇよ。俺は命の恩人の妹とどうのこうのといちゃついてたんじゃねぇんだ。バチが当たるぜ、そんなことすりゃ。

それからは彼女の兄貴と三人で、この世で日の当たらない連中にスポットを当てる映画を作り続けてきたという訳さ。彼女の兄貴はその仕事柄、多くの人間の人生の断片を見知っていたからねぇ。ところで今度の映画で主演される婆須槃頭さんだが日の当たらない人間を、どう力強く演じられるのか製作者として大いに気になっているところだ。

しかも、最初の日本映画でしかも時代劇だぜ。本人は大変だよ。会場のみんなも大いに後押ししてくれよな。頼んだぜ」

※本記事は、2021年5月刊行の書籍『マルト神群』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。